■インターネットの歴史を描いたドキュメンタリー、ヤフーで無料配信 (CNET)
初めてインターネットを触ったのが94年頃。
大学院のコンピュータルームにたまたまあったDOSVマシンで、unixコマンドを使いながら、海外のオンライン書店や大学のデータベースに接続したのが最初だった。
当時は、gopherなどのコマンド・ベースで、”世界的につながるパソコン通信”であったが、一年もすると、モザイクが出てきて、ちょっとした電子的な書籍の形態となってきた。
当時のネットでワクワクしたのは、コマンドだけだったけど、「うわー、これ今海外につながってんだー」とか、「ほんとに本が届くのか」といったことであって、そのサイトの中のコンテンツ自体がワクワクさせてくれたのではなく、「つながる」とか「物理的にモノが動く」といったことなのだったな、と思う。
今、ネットの仕事をしていると色んな人と出会い、インタラクティブなコミュニケーションやサイト制作に当たってどういうことに注意してますか?と聞かれることがある。そのときに必ずといって話をするのが「ブラウザ」という”枠”にとらわれない事、である。
「ブラウザ」の登場・普及は、テレビに普及に似たものがあるように思う。
テレビも徐々にではあるが進化はしているものの、ネットのスピードとは比べ物にならないほど遅く見える(そのうち堰を切ったように色々起こるだろうが)。きっとそうなってしまったのは、「テレビ」の「モニター/受像機」としての”枠”にとらわれてしまったことにあるのだろう。
「その”枠”の中で何をするか?」にとらわれてしまう時に、最大に危険なのは、そのメディアに触れる人があたかもその”枠”に接触し続けてるかのような錯覚になってしまうことだろう。テレビだけ、ネットだけで生活している人がいないのは当然なのだが、作り手の側に回るとそういった点を忘れがちになり、相対的に自分が帰属しているメディア産業を見れなくなってしまう。それゆえ、どんどん狭いとこに入ってきて、普通の人を楽しませることができなくなってしまうのだろう。
インターネットの過去を振り返ることは、テレビ含む他のメディアの”枠”をも考え直すキッカケになる。それは今当たり前に存在するメディアが、まだ今のカタチ、今の”枠”に収まっていないときの将来性豊かな時代の状況を知り、未来を考えるキッカケになるはずだから。
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