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2006年12 月11日 (月)

コメント

masatoshi

>最近、制作との仕事でイヤなことでもあったんですか?(笑
特に、「アート(芸術)的」に見せれば
シモネタも・・なんて言う自称ADなんかには
たまーにそう思いますね。(笑)
でも、極たまにですよ!

元々効率的に仕事をする環境ではなかったは同感です。なぁなぁ当たり前の業界慣習を少しづつでも出来るところから変えていきたいですね。。
先日某サイトの広告プロデューサーから
「代理店の人ってなんか面白い企画をくれ~とかそんなんばかり」というキツ~い一言をいただきました。

効率的かつ組織的に仕事が出来てないので、結果その場その場の対応になってしまっているということなんでしょうね。

課長007

外の人です。^^;

広告代理店からの18時以降の見積り依頼は断ります。

見積もるスキルがなくて丸投げしてるだけなのがミエミエで、当然のこととして受注率は限りなくゼロに近いですし、万に一つ!!の確立で受注できたとしても、進行ズタボロで赤字必死です。

「いつか美味しい案件まわすからさ!」

そんな君の所にはほぼ確実に、美味しい案件なんてまわってきませんよ。(笑)

インタラクリ

マジで、勉強になります!!
(もっと、マメに見に来るようにしますね)

タカヒロノリヒコ

ちなみ、DとHの両方を経験した私としては、どちらの社風にもいいところがあり、どちらも好きです。

しかし、社風と業務スタイルは別もので、これから先、メディアビジネスにおける収入が減ることは確実な中、より効率的かつシャープなクリエイティブ・アイデアが「金のなる木」にならなくてはいけません。

大手広告業界の作業スタイルが、この未来に至る道筋につながっていないのが大きな課題だと思います。

what's up!

現役H営業マンです。タカヒロさんの「営業100案」の意見について極めて同感です。かつ、広告制作会社の労働条件の悪化についても、深く同感。夜中徹夜して企画詰め打合せをCDの機嫌に合わせて行うなど、時代錯誤もいいところ。Hの作業スタイルは、夜型が多すぎるというのが悪いところですよね。居心地のいい会社ではあり、私はおおむね社風は好きで仕事していますが、この「夜型」「CD(=制作)一番えらい風」の文化だけは、早々にやめるべきだと思います。

yossy_yoshida

本当にフィービジネスをやっているのだったら、時間効率を考えるようになるはずです。アイデア開発にも効率をもとめるはずです。
今の代理店は、名目的にはフィービジネス化しているものの、内部体制はまだまだドンブリビジネスのままなんでしょうね。

タカヒロさんの書いている「課題に対するアイデア」というスタンスを、どのぐらい本気で認識しているのかも重要な視点だと思います。

課題が絞り込まれていれば、アイデア開発のマトが絞れるはずですが、課題の絞込みが甘いと、アイデアをたくさん出しても、何が重要なのかわからないから、また出すというサイクルになってしまうのではないでしょうか。

masatoshi

先日お邪魔してお話をお伺いしました、某代理店の営業です。
>あ、営業も・・・
まぁ、そんな横暴な言い方をする制作もそういないですが、近しいことはありますね。
また、絵は描けないけど、企画書は書ける。
となると、よくやられるのは、マーケ・SPからですか。
「明日プレで明後日もプレで・・」、なんて言われると、
じゃ、こっちで企画書書いときます!。みたいな。。
営業も、営業の仕事をちゃんと整理し自覚して、社内に対して啓蒙しないといけないんです。

勢いあまってヒトコト、
誰のおかげでメシ食えてんじゃい(笑)

タカヒロノリヒコ

> 勢いあまってヒトコト、
> 誰のおかげでメシ食えてんじゃい(笑)

最近、制作との仕事でイヤなことでもあったんですか?(笑

ようはちゃんとそれぞれがちゃんと効率よく仕事したらいいんです。この場合の効率よくっていうのは「時間は有限だし、自分がちゃんとしなかったら他人の時間を食ってしまうので、それを自覚した仕事の進め方」ってことです。

さっき、某代理店から外資系代理店に移った後輩から、「うちの会社はみんな朝早いし、夜もそんなに遅くまでやらないし、営業も早く制作にブリーフしなきゃって集中してやるし」と、もともといた代理店との違いをスパっといってました。

代理店が今、モーレツに忙しいのは、細かい仕事が増えた結果、もともと効率的に仕事をする環境ではなかったために、色々スタックしてきてるんじゃないかなあ、と思います。

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