僕のものの考え方について、よく聞かれるので。
僕が一番大事にしている能力に「セレンディピティ serendipity」というのがあります。
というか7-8年ぐらい前に知って、「あ、これだ」と思った言葉なのですが。この訳語は色々あります。しかし、僕が一番好きな訳語は「掘り出し上手」っていうもので、「色々探しているうちにいいものを見つける」、といった能力を指します。
面白いのが、メディア論の創始者マーシャル・マクルーハンは自らのメディアへの探求を probe といっていて、「手探りをしておこなう金庫破りのようなもの」と彼自身言ってます。
「探っていくうちに身に着ける直観力(直感力ではない)」とも言えるかな。
なので、僕はどうしても論理的思考の人、と思われがちなんですが、実は全然違います。むしろ感覚重視です。
「あ、これなんかおもしろいな」、「あ、これなんか変だな」と思うことが先にあって、そうしたものはセレンディピティ的なもので発見されていて、じゃあ「なぜそう思うのか?」を考える。で、その結果、こうでこうだからこうなんだ、が見えてくる。それを人に伝えるとロジカルに思われる。
といった、感じなんです。
当然、コトバでは尽くせないこともあるので、これが全てではないんですが、「こうこうこうだからこうなんだ」という演繹的な考え方から先に入ることはほぼありません。たくさんちらばっていることをぼーっと見ていてふと気づく、という帰納法的な考え方をしていたりします。
こうした能力を上げる一朝一夕な方法はきっとありません。
ふだんから、いろいろなことに目を向けて「気づいてみる」という作業を繰り返すしかないかもしれません。
竹の子や松茸掘りの名人は、竹や木の根っこだけを見ているわけじゃないそうです。むしろ山全体を見て、周囲に生えている木や土の具合を見て、把握しているそうです。
おなじように一箇所をじっと凝視するわけではなく、たまには山全体を、たまにはそれぞれの木を、そして足元を、見る、という作業を仕事においてもしていけばきっと、セレンディピティは身につくんじゃないでしょうか。
↓これがセレンディピティというコトバのもとになった物語で、もともとは18世紀の英の作家ホレース・ウォルポールの『セレンディップの三人の王子』というものです。セレンディピティ自体が彼の造語。物語は、三人の王子が巧みに珍しい宝を絶えず発見する、というものです。
↓最近は、セレンディピティをテーマにした本も増えてます。
職場がデザイン部門のため「偶然の発見から深層を見切る」達人な人がたくさんいるのですが、そういう力に言葉があったのを初めて知りました。 日本語になくて単純にカンのいい人で終わっていたのですが、すでに言葉として名付けられているのを知ってうれしくなりました。 ちょっと舌かみそうなのが難点・・・。
投稿情報: はいのらねこ | 2006年10 月25日 (水) 21:17